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音楽でビールがおいしくなる?

博報

博報堂、クロスモーダル知覚(五感の相互作用)を活用しブランド体験を進化させる実験活動を開始
─東京大学鳴海准教授と共同で
[実験第1弾]ビールのおいしさを増幅させる音楽
https://www.hakuhodo.co.jp/news/newsrelease/98057/

という記事が出ていました。
音と味覚の関係は前から結構気になっていて、せっかくなので人体実験してみました。

音なし
スパイス、ピール、ハーブ
甘み、切れの良さ、苦み

Intro – imagine BEER –
マイルドになった
キレがよくなった
のど越しの印象が強くなった
飲んだ後の鼻に抜ける香りを感じた
より後味の苦みを感じた

Texture 1. CREAMY CREAMY
厚み、質量感を感じた
のど越しがゆっくり流れていく感じ
余韻が長い
甘み、重み

Texture 2. LIGHT SODA
スパイス系の香りを強く感じた
あっさり、軽い
酸味
苦みは少なく、ピール系の感じ

Texture 3. HEAVY NODOGOSHI
じんわり
特徴を強く感じない。角が取れて統合感が出た
バニラ香
酸味と香りの一体感

Outro – Texture Journey –
花の香り
酸味、苦み
味わいあってキレはすっきり
心地よい余韻

んー、結構違うかも。
「おいしくなる」というよりは、強く感じる成分が変わるというか。他の研究でも高音成分が甘みを強調したりとかあったと記憶していますが、特徴が違って感じられるという感じでしょうか。
尚、飲み方が多少違ったり、前の味わいの影響受けたり、ビール自体も時間とともに変わってたり、まったく厳密な実験ではありません。

いつかこういった複合要素のペアリングを提供するお店が出てきたりするのかな?
可能性は広がるな~

☆ついでに☆

全然関係ない麻雀動画を見ながら飲んだ味わい
https://www.youtube.com/watch?v=1ul0eTRORqY

味濃い
すっきり のど越しもよい
後味の苦み
香りは穏やかに香る

ワクチンを接種しました(1回目)

本日、1度目のワクチンを接種してきました。2度目の接種から2週間で十分に効果が出るということなので、8月中には効果が現れてくる見込みです。変異株には有効性が下がるとも言われているので完全に楽観視はできませんが、ワクチンの有効性や感染状況次第では、またオープンなレッスンを少しづつ再開していこうかなと思っています。(オンライン等ご相談いただければ今もやってますので個別にご相談ください。)

今のところ体調面では特に異常なし。少し腕に痛みがあります。ちょっとした筋肉痛程度なので大したことないですが、翌日以降に倦怠感や発熱などが出ることが多いそうです。苦しくないといいんですけど。

小池監督トークショーのナビゲータをつとめました

去る6/14、映画「壊れた時間のバラタ」上映会で開催された、監督とのトークショーにナビゲーターとして参加いたしました。

海外チームとリモートで製作したという、異色の映像作品の裏側や製作意図、そして監督が現在手がけている舞台「完全版マハーバーラタ」に関してなどトークを行いました。

アーカイブが聴取できますので、是非お聞きください。

和歌には返歌があるし、近年はラップバトルなんかが行われてたりするから、形は変われど変わらない習性。これはもはや本能か。

巻末の初音ミクに関する章が一番興味を引いた。
著者は初音ミクを思い通りにするPの「調教」にどこか気持ち悪さを感じてしまうといい、以下のように指摘する。

人の声を思い通りにすることは、極言すればその人格と身体を支配することである

P.218

(↑の文章は音声入力で入力しました。精度は9割以上。すごいね!)

これには思い当たる節があり、かつて通っていた演技の養成所でのヴォイスレッスンでは、ある種のテクニックの習得が求められ、それが出来なければダメだという空気があった。その教師は自分の立場を利用してハラスメントを行っていたという話が囁かれている。「調教」するような姿勢は、利己的な人格と結びついていたのではないかと思う。
余談だが、養成所を出てから同期生たちの声が全く一緒であることに気が付いて、ものすごく気持ち悪く感じたのを覚えている。そこから脱却するまでには長い時間がかかった。結果的に、他人の声をコントロールしようとすることは絶対にやってはいけないことだということを養成所では教わることができた。

本の話に戻ると、人間性を排除した初音ミクの声が、声が人間性といかに結びついているかを立ち上がらせるという考察は非常に面白かった。最後に、本の結びの文章が印象的だったので引用しておく。

今のところ、ボーカロイドですら身体から完全に離れた記号になることはできずにいる。声を完全に抽象的な、観念的な存在に還元することは多分できない。完全に声の力をコントロールすることも多分無理だろう。だからこそ声を発すること、声を聞くことは面白い。結局のところ、声を発するということは生きているということであり、声の難しさ、面倒さ、厄介さも、声が生み出す力、喜び、美しさもまた、生きることの味わいであるからだ。

P.222