読書「声の世界を旅する」

声の世界を旅する (オルフェ・ライブラリー)

世界中の「声」を巡る旅。民族音楽や動物とのコミュニュケーションのための声など、世界中の声にまつわることが収録されている。発声はただの技術ではなく、人間の哲学や思想、文化や身体と密接に繋がっていることがよくわかる。

生まれ故郷にほど近い秋田県の美郷町では「掛歌」という即興で相手と歌を掛け合うというものが伝統的に行われていることを、この本ではじめて知った。

和歌には返歌があるし、近年はラップバトルなんかが行われてたりするから、形は変われど変わらない習性。これはもはや本能か。

巻末の初音ミクに関する章が一番興味を引いた。
著者は初音ミクを思い通りにするPの「調教」にどこか気持ち悪さを感じてしまうといい、以下のように指摘する。

人の声を思い通りにすることは、極言すればその人格と身体を支配することである

P.218

(↑の文章は音声入力で入力しました。精度は9割以上。すごいね!)

これには思い当たる節があり、かつて通っていた演技の養成所でのヴォイスレッスンでは、ある種のテクニックの習得が求められ、それが出来なければダメだという空気があった。その教師は自分の立場を利用してハラスメントを行っていたという話が囁かれている。「調教」するような姿勢は、利己的な人格と結びついていたのではないかと思う。
余談だが、養成所を出てから同期生たちの声が全く一緒であることに気が付いて、ものすごく気持ち悪く感じたのを覚えている。そこから脱却するまでには長い時間がかかった。結果的に、他人の声をコントロールしようとすることは絶対にやってはいけないことだということを養成所では教わることができた。

本の話に戻ると、人間性を排除した初音ミクの声が、声が人間性といかに結びついているかを立ち上がらせるという考察は非常に面白かった。最後に、本の結びの文章が印象的だったので引用しておく。

今のところ、ボーカロイドですら身体から完全に離れた記号になることはできずにいる。声を完全に抽象的な、観念的な存在に還元することは多分できない。完全に声の力をコントロールすることも多分無理だろう。だからこそ声を発すること、声を聞くことは面白い。結局のところ、声を発するということは生きているということであり、声の難しさ、面倒さ、厄介さも、声が生み出す力、喜び、美しさもまた、生きることの味わいであるからだ。

P.222

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